太閤出世餅の由来



     太閤出世餅と豊臣秀吉  


   戦国の武将豊臣秀吉は、およそ四百五十年前の天文年間の頃、幼名日吉丸と名乗ってお

  り、蜂須賀小六のお供をして伊勢神宮参拝に訪れてから、関白太政大臣として天下統一を果た

  すまで度々伊勢の地を訪れています。

 時には織田信長の代参として、また宇治橋造営の橋奉行として滞在したこともあります。そして一時

  途絶えた式年遷宮復興にも尽力し、多大なる寄進を行いまた、太閤検地を唯一免除するなどの史

  実も残されております。

 太閤餅の名称の由来には諸説がございますが、江戸時代後期に書かれた古文書「神都長嶺記」

  の一説に「秀吉公御光臨の時献ぜしに、珎美味也と御称美なし故太閤餅と号けし云々」と記され

  て今に伝わっております。

  私共は、この伊勢の地を訪れ、伊勢神宮に対する、崇敬心の深い天下人秀吉が、「美味也」と

  称した伊勢の焼餅を、その歴史と共に末長く継承していきたいと思っております。

   
         


当時の内宮前茶屋

豊臣秀吉


     ★式年遷宮を復興させた豊臣秀吉と武将達


 お伊勢さんの名で親しまれている伊勢神宮(正式の名は神宮)は我が国最大 のお宮です。神宮では

20年毎に式年遷宮が行われます。

  式年遷宮とは、神宮正殿をはじめ御垣内のすべての御建物、御装束、御調度品(神宝)など約八百

種類以を新しく造り替え、御神体をお遷しする伝統ある伊勢神宮最大の行事です。 持統天皇の朱雀4年

(690)に第1回式年遷宮が行われましたが、応仁の乱から続く戦国時代に式年遷宮は120年間も途絶

えてしまいました。 長い間、衰微の一途を辿っていた神宮の復興を志したのが熊野の尼層守悦(1代目慶

光院上人)でした。守悦は伊勢山田に出て、神宮の窮状を憂い永正二年(1505)まず宇治橋を改架しま

した。ついで伊勢の尼寺慶光院上人らが朝廷の許しをえて全国に勧進を働きかけ、足利将軍家や織田

信長、豊臣秀吉などの戦国武将らの協力を得て復興させたのでした。

 勧進とは神宮に対する信仰と寄進を説いてまわることで、勧進を行いながら全国を行脚する僧のことを勧

進聖といいます。まさに遷宮復興のためには勧進聖の存在は無くてはならないものだったのです。



内宮御正宮

外宮御正宮


     ★外宮の遷宮 永禄六年(1563)


 内宮のお膝元宇治浦田町にある禅宗尼寺慶光院の三代目上人清純は、天文十八年〔1549〕に宇治

橋造替の勧進を行い、二年後の天文二〇年から遷宮復興のための勧進を始めました。

 織田信長の父、信秀は遷宮のために寄進する事を家門の名誉として、外宮の遷宮費の一部7百貫の

寄進を行い、信秀の死後その遺志を受け継いだ信長が寄進を続けました。そして外宮としては129年ぶりの

遷宮が実現したのです。この時木下藤吉郎を名乗っていた秀吉は信長の代参として伊勢神宮に参拝しまし

た。やがて宇治橋造営の橋奉行となり、伊勢に滞留したとのことです。



宇治橋 


      内宮・外宮そろっての遷宮 天正十三年〔1585〕


 この年は内宮・外宮の両宮がそろっての第四十一回式年遷宮が完全に行われました。内宮の遷宮は

123年ぶりのことでした。

 この年に秀吉は朝廷より関白に任ぜられました。関白とは天皇を補佐し政務を司る最高の官職です。そ

して翌十四年に太政大臣となり豊臣の姓を賜り名実供に天下人となりました、織田信長の寄進三千貫の

遺志を継いだ秀吉も銭1万貫、米1千石の大寄進を行い、有力武将達も秀吉に倣って協力したといわれ

ています。のちに秀吉は伊勢神宮の近辺を神領地として唯一太閤検地の免除もしました。秀吉の神宮に

対する崇敬心の深さはいくつかの逸話となって残されています。

   


       第六十二回式年遷宮 平成25年〔2013〕


 第62回神宮式年遷宮は、内宮が平成25年10月2日、外宮が平成25年10月5日に遷御(せんぎょ)の儀

(大御神様に新しい御殿へお遷り願う式年遷宮の中核となる祭典)が斉行され完了しました。これに先立って、

平成21年11月3日には内宮の入口に架かる宇治橋の架け替え行事である「宇治橋渡始式」が行われました。

これは造り替えられた新しい宇治橋を「渡り女」と呼ばれる女性を先頭に、三世代揃った夫婦と共に渡り始める

行事で、古式にのっとって斉行されました。 そして平成25年夏には、完成した御正殿の御敷地に白い石を敷く

白石持ちが伊勢市民と全国有志の方々によって実施されました。白石持ち行事は平成18・19年のお木曳き行

事に次ぐ盛大な民族行事として現代に継承されております。


       往時を偲びつつ


石畳

 内宮手水舎から五十鈴川までの石畳の一部分は、秀吉の側室淀君が

寄進されたとのことです。



慶光院

 現在、伊勢市宇治浦田町にある慶光院は禅宗の尼寺でした。代々の

慶光院上人が伊勢神宮に大きく貢献したことに対して、豊臣秀頼、淀君が

家臣片桐旦元に命じて居所として改築建立したものです。 桃山時代の文

化、建築様式を今に伝える貴重な建物として重用文化財に認定されてい

ます。


   


 五十鈴川みたらし場


現在の慶光院


     伊勢の人々と秀吉

 昔から伊勢の人々は、二十年に一度の式年遷宮を中心とした様々な事柄や、 行事と共に生活をしてき

ました。 御遷宮のための御用材を運ぶお木曳きやお白石持ちには、住民こぞっての賑わいとなります。式年

遷宮復興の強力な推進者として、また尾張の一農民から関白太政大臣にまでのぼりつめた出世人として

豊臣秀吉を深く敬愛しております。そして秀吉が愛した焼餅が縁起のよい餅として伊勢名物となり親しまれ

ております。

 太閤出世餅はお伊勢参りのお土産として、また命名祝や百日参り、七五三、 進学、就職などの祝い事

や慶事のための贈答品として、多くの方々から愛されております。
   
     

お木曳き(外宮)

お木曳き(内宮)

お白石持ち(外宮)

お白石持ち(内宮)



   

参考文献

   神都長嶺記       寛政四年(1792年刊)宮掌大内人秦定賢記長嶺の故事見聞記

   神都名勝記       明治二八年(1895年)神宮司庁蔵版

   神都読本        宇治山田市教育委員会編纂

   宇治山田市史史料  大正十三年(1924年)教育委員会

   知られざる県政史   昭和五三年(19789年)大塚竹生著

   神宮式年遷宮     昭和六一年(1986)年刊皇學館大學出版部

   伊勢参宮        昭和六二年(1987)宮本常一著