神都長嶺記について

 神都長嶺記は今から二百年余り前の、寛政八年(1796年)江戸時代後期の頃の古文書で、神宮

 の宮掌(神主)大内人秦定賢によって、当時の人々の生活、文化及び故事来歴等が記されています。

その一説によると、旧古市街道にあつた神宮参拝のために伊勢の国司北畠氏の力添えによって、整え

 られた長嶺茶屋で作られていた焼餅を、秀吉公が「美味也と御称美なし故太閤餅と号けし云々」と記

 されています。古市は、その昔長嶺(ながみね)と呼ばれ、伊勢音頭、古市歌舞伎の発祥地と言われ、

 外宮から内宮に至る参宮街道としておかげ参りの人々で大層な賑わいだったとの事です。

 古市にある長嶺神社は、天の岩戸の前で舞をまったとされる天細女命(あめのうずめのみこと)他、八神

 がまつられ、現在も芸能の神として崇められております。



                 (神都長嶺記の一部を抜粋しワープロ化もの)


長峯神社の案内板





現在の長峯神社